2012年 みずがめ座の空模様。
「大化けする」 という言い方があります。 ある可能性を持っている人が、 その可能性を周囲の予想以上に開花させ いわば「大物」になるような状態を言います。 「あの人、いまはまだ普通よりちょっといいくらいだけど ひょっとすると、そのうち大化けするかもよ」 などのように使います。 「化ける」というのは、 狐や狸が人間や他のものに化ける、 というときに使います。 こうした場合は、本来の狐や狸とは全く違ったものに変わり、 さらに、もとにもどったりするわけですから いわば「仮の姿」であり、本体の本質とはあまり関係がありません。 ですが 「化」 とは元々、 人という文字が線対称に描かれた文字からきており、 人がべつの状態にかわる、 つまり「死ぬ」ことを意味していたのだそうです。 人は誰でもいつかは死にます。 ですから、狸が人に化けるような、 「本来、関係のないものにかわる」のではなく、 化けるもとの存在の中に元々秘められていた可能性のようなものが、 元の姿を圧倒して消し去るような形で表れる ということなのだろうと思います。 くさかんむりに化けると書いて、「花」です。 茶色と緑の木の枝に、鮮やかな色彩の花が表れたとき、 それまでのその木とはまるでべつのものに変わったように感じられます。 本当の意味で「化ける」とき、 その姿は化けた存在の中に元々、ちゃんと内蔵されていたものなのですが 化けたときには化ける前の状態は完全に終了しており、 つまり「昔の自分は死んだ」ということなのかもしれません。 小さな芽から木が育ち、枝がのび、 花が咲いて実になってやがて実も葉も枯れて落ちはてても 最初から最後まで、リンゴならリンゴ、桜なら桜です。 どんなに様子が変わっても、やっていることが変わっても 決して。自分が自分でないものに変わるのではなく、 自分の中に元々ある可能性に基づいて、 それにそって変化していっているだけなのです。 「高校デビュー」「大学デビュー」などの言い方もあります。 それまであまり目立たなかったのに 進学と同時にファッションや態度が大きく変化し 突然モテるようになったり、 友達がたくさんできたりする人がいます。 これも「化ける」のひとつだとおもいます。 中にはムリをして、やりたくもない演技をして 人の好意を集めようとしてかえって傷ついてしまうような場合もあるようですが、 そうではなく、秘めていた魅力を自ら意識して、 花のように開花させた、という人もいるようです。 なにかが秘められていて それが花開くと、それまでのその人とは 外から見ると、大きく変化したように見える。 でもそれは、その人にとっては多分 「あるべき姿にもどった」というほうが、感覚的には近いのかもしれません。 「自分はこうだったのか!」と、帰るべき場所にたどり着いた、 あの、「みにくいアヒルの子」のようなことが 現実の中にも、時折、起こるものであるようです。 2012年、水瓶座の世界には ちょうどそんなことが起こるのかもしれないと思うのです。 元々貴方の中に内蔵されていて まだ発現していないものが 貴方の意志によって外側に出て行き、 ぱあっと貴方を変えてしまうのです。 周囲から見れば貴方が変化したように見えるかもしれませんが 貴方からすればどこか「我に返った」という方が 近いような感覚かもしれません。 個人として心から「これだ!」と思えるものを愛し、 心から納得できる目標を得て、それを追うのです。 目標も、愛の対象も、 自分の「外側」にあるものですが、 人間は自分の内側を見つめ続けても けっして、自分の全体像や根幹を捉えきることはできません。 自分が、外の世界のなにかに 良くも悪くも、強い意識や感情を向けたとき初めて そこに、自分の姿と手応えが立ち現れます。 この2012年は、そんなふうに 外の世界とがちっと噛み合ったところに 自分のシャープなアウトラインを見つけ出すことができます。 この動きが、前述の「化ける」というのにちかい現象となって 周囲の目を驚かせることも多いだろうと思います。 時期的なことを少し申しますと、 年の前半は誰かとの距離がぐいぐい縮まるような、 密接な関係が形成されていく時期となっています。 何か大切なものを受けとったり 強い情熱をぶつけられたり あるいは、非常に官能的な時間となるのかもしれません。 当事者にしか解らない熱の邂逅が発生する時期なのです。 まず、年明けは比較的穏やかにスタートしそうです。 1月末から、スイッチが入ったように忙しくなるでしょう。 過去10年くらいのスパンの中で感じ続けていた「靄」のようなものが 2月、すうっと消えていく感じがする人も多いはずです。 急にいろいろな事に手答えが感じられたり、 トンネルを抜けたように視界がクリアになっていくかもしれません。 3月半ばから4月頭は、 コミュニケーションや経済的な状況に ちょっと面倒なことが発生したり 何となく流れが滞り気味になったりするかもしれませんが、 4月半ばになればまたキレイに流れ出します。 古いコミュニケーションがよみがえる可能性もある時期です。 5月、何か楽しい事が始まるかもしれません。 きらりと光る流れ星のような、新鮮でちょっと神秘的な出来事が 貴方の心をときめかせるでしょう。 6月になると、5月に感じた煌めきが、 一瞬のものではなく、これから確かに、 大きなスケールで育っていくものであることがわかるかもしれません。 ここから2013年まで、 貴方は心から愛せるものに対し 多くの時間と労力を使っていくことになるのです。 7月から8月にかけては、 旅行や出張など、遠出する人が多いでしょう。 あるいは、なにかを学ぶことに打ち込むのかもしれません。 いずれにせよ、未知の世界に目を向け それに情熱を注ぐ期間に当たっています。 これは単なる「情報や知識の蓄積」ではなく、 自分と強い関連を持った、自分の一部となるような 知的体験となるはずです。 9月から10月前半は、自分の社会的な立場について 強く意識するようになるタイミングです。 この時期に転職したり、独立したり、 今までとは違う道を歩むことを選択する人も 少なくないだろうと思います。 あるいは昇進や抜擢など、 立場や役割が誰にでも解る形でガツンと変化する人もいるはずです。 少々ムリかな、と思えるようなチャンスが巡ってきても、 「まずは受けてみよう」という勇気が湧くと思います。 10月から11月は、未来への展望が開けていきます。 10月の「立場の変化」を受けて、 新しい夢を描くことになるのだろうと思います。 11月は多少、停滞感や障害物があるかもしれませんが、 月末にはすうっと解消するでしょう。 同時に、月末、少し意外な、でもとても嬉しい ミラクルな出来事が起こるかもしれません。 11月半ばから12月半ばまで、 なにかしら目に見えないものとの「戦い」が発生します。 かねてから「自分はここが欠点だな」と思っていた部分と 激しく衝突し、勝利を収めることができるでしょう。 月末は、自らやってみたい新しいプランが胸に芽生え、 それをそのまま、2013年に持ってゆけそうです。 愛情関係については、 2012年の水瓶座は、 もっともきらびやかな風の中にある星座だと言えます。 特に4月以降、2013年の前半まで、 本当にすばらしい流れの中にあるのです。 フリーの人には、大切な出会いの可能性がありますし、 カップルも、結婚や出産など、 愛が成長していく期間となるはずです。 恋愛ではなく、クリエイティブな活動や もっと他のものへの「愛」の体験で この流れを掴む人もいるかもしれませんが 恋をしたいとか、愛したいとか思っている人にとっては この時期は、とても心強いタイミングと言えると思います。 もっとも、5月と7月半ばから8月頭は、 ちょっと期待はずれの展開もあるかもしれませんが これは単に、歯車がちょっと噛み合わないだけで、 軌道修正のチャンスとも言えます。 先を焦らず、過剰に悲観したり疑心暗鬼になったりせず、 自分の「愛する力」を信じ育てるとき、 すりかえられた依存や補償ではない、本物の愛を ちゃんと実現できる時期だと思います。 或いは、今までそれを怠りながらずるずるとなにかにしがみついて来た人にとっては 流れを根本的に変えるチャンスがここに、あるのだろうと思います。 これは、「白馬の王子様が現れて全てを魔法のようになんとかしてくれる」のではなく あくまで、自分の心や頭や身体を使って進んで行く道で ところどころには茨も生えているかもしれませんが それでも「進む価値がある」と思える道だろうと思います。 どんなに上手くいく恋も、 切ない思いや不安な気持ちや、涙や傷がどこかには ともなうものだと思います。 それを超えてでもいきたいと思える場所を、 胸に描き続けられる年だろうと思うのです。 5月と11月末、ちょっと神秘的なターニングポイントが巡ってくるかもしれません。 何かを本当に「知る」ということは、 知ったことが自分と関連づけられる、 ということなのだろうと思います。 知ったことが、自分のキャリアや歴史に刻み込まれたり 自分の個性の一部と化したりします。 その時初めてなにかを「本当に知った」と感じられるのかもしれません。 外側から内側に何かを取り込むときにも 「化す」という出来事が起こります。 人間は、外界と自分を徹底的に分けようとしますが 同時に、外界と自分を貪欲に、有機的に結びつけようとし続けています。 この、徹底的に分け、更に結びつける、その動きが 2012年の水瓶座の世界では、 鮮やかに活性化していくのです。 自分からも自分自身を見えにくくしていた霧が晴れたとき 霧の中でずっと続けていた努力の意味にも気づかされます。 人生の迷路で迷う者は、 無為な徒労を繰り返しているわけではありません。 惑い迷う長い道のりの中で 時間はつねに流れ、積み重なり続けているのです。 手に触れた手掛かりの全てが、単なる出口へのきっかけではなく それ自体純然たる宝物だったことに、 これからさきの道の角角で 貴方は、気づき続けるのだろうと思います。