2004/9/1

先日
常連化している近所の居酒屋に行った。
カウンターだけ
みたいな
小さな店である。
そこのマスター(ますたーではない)は
気さくな人で
一人で来る常連客が
とっても多い。
その日も
たくさんの
仕事帰りのおじさんたちが来て
勝手なことを
しゃべりまくっていた。

その中の一人が
「マスター
あの
『時価』
って
今日はいくら?」
と訪ねた。
私はメニューの書いてある黒板を見た。
なるほど
はまぐり焼き
時価
と書いてある。
マスターは
すまして答えた。
「高いですよー
50円」
。。。
一瞬固まった
オヤジたち。
その後
「安いじゃん!」

大ブーイング大会。

その客は
4つちょうだい
と言った。
おれもおれも
となって
10個ぐらい
売れた。
マスターは
そのあと
こっそり
私に言った。
「時価
って書いとくと
お客さん
高いと思うでしょ。
でも
美味しそうだと
おもうでしょ。

おそるおそる
聞いてくるんだよね。
その反応がおもしろいから
書いてんの
うふふふ」
。。。

遊ばれている。

カウンターの
中と
外。
感覚って
とってもちがう。
店員や
コールセンターなど
「中」
の経験があると
外からアクセスするときの気分は
全く違う。
「中」
に立ったことのない人は
ときどき
「中」
にいるひとを
自分と同じ人間だとは思わないフシがある。
でも
退屈したときなどは
自分の意識を
そこらにいる
店員さんや
駅員さんや
ガードマンさんと
取り替えてみると
なんか楽しい。
心の声を
想像してみるのだ。
万札を出した客がいたとき
「ああ、、大声出して『一万円入りマース』って言わなきゃイケナイ、、
『いちまんえん』ってけっこう言いにくいんだよなあ。。
まんえん
がなんか、発音しにくいって言うか。。
仕方ない、言うか。
い、いちまえんはいりまーす!
、、しまった
『ま』と『え』のあいだに『ん』がうまくはいらなかった、、
マヌケだよオイラ」
とか思ってるだろう。
(実際ちょっとマヌケだった)
おじいさんにその電車の行き先を聞かれたとき
「このおじいさんが言ってる『つがぬま』って、多分、津田沼のことだよなあ。。
つがぬまっていう駅があるのかなあ。。聞いたことないなあ。。
でも何回聞いても『つがぬま』って言っているような気がする、、
もしかしたら、つがぬまさんという人の家を訪ねるんだろうか、、だとすると
この電車に乗ってどこか解らないところに着いちゃったら
きっとものすごくこまるだろうな、、
電車の中によく、アリとかいるけど、ああいう感じだな。
アリがうっかり電車にのっちゃって
訳の分からないところにきちゃったら
もう絶望的な気分になるだろうな、、元の巣には絶対戻れないもんな。
自分一人なら食べていけるだろうけど、アリってそういう生き方じゃないような気がするし。それとも、他の巣に入るって、できるのかな。
アリの転職
ってあるのかな。。
八王子から来ました!まだ四谷のことは良くワカンナイので、迷子になることもあると思うんですが
今度は電車に乗らないよう気を付けますので
どうぞよろしくおねがいしまーす、みたいな。
でもこのおじいさんはそうは行かないよな。。」
とか。

人の気持ち
には
その立場になってみないと絶対にワカラナイものがある。
子供を持って初めて親の気持ちが分かった
など
よく耳にする。
外側から見ていると
どうしてそんなことになるのかワカラナイ
と思えるようなことでも
同じ穴に落ちてみると
なるほど!
ってことが
よくある。
更に言えば
「自分だけは絶対そんなことはしない」
と思っていることほど
あとになって
やってしまう
こともある。
頂くメールにも
けっこうそう言うコメント、ある。
「以前の私なら『そんなことは絶対しない』と考えていたのですが、いま同じコトをしてしまっています」
というの
とてもしばしば
見る。

たまに思うのだが
恋愛と
病気って
似ている。
死ぬまで続く持病

結婚
なら
すぐ治る風邪
みたいな恋も
あるだろう。
病気には
生活習慣とか
疲労の蓄積とか
なにかしら
日常的問題
があって起こるのがある。
あと
遺伝的なもの
自分ではどうしようもないもの
も、ある。
長年の姿勢が悪かったために腰痛になる
とか
アマイものとお酒ばかりやっていたせいで糖尿病になる
とかいう場合。
生まれたときからなんらかの病気を受け継いでしまっている場合。
育つ過程で得た病気。
いろんなのがある。
恋も
そうじゃないかな
とおもう。
千差万別
十人十色。
人はその人なりの
そのときの状況に合った
恋愛
をする。
病気と違って
恋愛は
その原因とか内容とかいつまで続くかとかが
あまりハッキリ
わからない
ので
なかなか厄介だ。
でも
病気と恋は
似ています。
当人が望むと望まざるとに関わらず
その人の本質的な状態

指摘してくるからです。
おまけに
フツウの思考や意志ではどうにも
コントロール不能
な点で
同じです。

病気も恋愛も
その状態やキモチは
その穴に落ちてみないとワカラナイ
という点で
これまた
似ています。
人によって症状が違う
というのも似ているし
のど元過ぎれば
熱さを忘れる
と言う点でも
同じです。

こう考えてみると
恋はビョウキみたいな
ものなのね。
恋の病
ではなく
恋は病
だったり
しちゃったり
して。


病気と関わる
ときは
普段の努力根性とは
ちょっとちがう力を使う。
いつも使っているのとは
違う頭を使う。
普段
「こうあるべきだ」
「コレが正しい」
という価値観を
病気のときは
覆されることが多い。
生きていること
そのものに
直面させられるコトが多い。
恋の時も
そういうことが起こる。
それまでは
絶対的正義
だったことが
いとも簡単に
覆る。
恋の傷が癒えたり
病気が治ったりすると
ああ
そういうことかぁ
って
納得できる
こともある。
終わらないで死ぬまで添い遂げちゃう恋
とか
死ぬまでなんとかつきあっていかなきゃイケナイ病気
とかでも
なるほど
こういう状態だから
解るコトってのが
あるなあ
コレを私は
背負うことで
なにか
果たしているんだな
とおもうことも
あるようだ。

若いときの苦労は
買ってでもしろ
なんて
今時誰も言わないが
苦労
のやりかたとか
苦労の価値

最近はあまり
よくわかんなくなってるのかもしれない。
元気で明るい
前向きなことだけが
イイコトみたいに
言われている。
でも
苦労。
私にメールをくださったり
掲示板に悩みを書いてくださったり
する方々は
とっても苦労の中にいる。
それって
すごいことでは
なかろうか。
苦労しないと
わかんないこと
たくさんあるだろうと
おもうのだ。

マライア・キャリーの歌に
struggled and prayed
というフレーズがある。
彼女が成功する前
ポケットにはコインが数枚しかなく
歌手になりたいけど
なかなかうまくいかん!
というときのことを
歌ったものだそうだ。
苦労したんだよな
アイツも(知合いか)
私はなんか
この
ストラグル
という単語が
スキだ。
もがいて
ぐるぐるしている
感じがする。
でももがいている。
もがいている
というのは
なんか、イイ。
無理矢理でも
動いている感じが
するからだ。
嫌な気分、そのままの嫌な気分で
もがもが動いている。
ムリにいい気分には
ならない。
でも
もがく。
くそー
チクショー
といいつつ
動くことを
やめない。
そのうち
いつのまにか
何かが起こる。

うーん
うーん、
何か起こらないかなあ。。
何も起こらない
のが
まあ言ってしまえば
当たり前
なのだな。
それでも
何か起こそう!
と思ってるのだから
それなりに
ムリもするのだな。
ふう。

今日は
オチが
ないな。
(オマケに長すぎ)



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